3回戦 ラッセルVSヴィルフリート

熱、痛み、それから血の匂い。
ラッセルが感じるのはその三つだった。

「あー、クッソ!」

都市開発から外された廃墟区域。コンクリートが露呈した廃ビルの立ち並ぶ区画を、ラッセルはひたすら走る。
正直身体は「もう勘弁してくれ」と悲鳴をあげかけているが、立ち止まるわけにはいかない。
今は公式3会戦、変則チェスの真っ最中だからだ。
このマスにラッセルを移動させたのはハンナだが、マスに移動した途端、何となくここは“当たり”だと思った。
何せ、一番遭遇したくなかった男がそこにいたからである。

ヴィルフリート・フォン・ローテンシュヴェルト。

文句なしの戦闘派。マフィアに属していても基本研究室詰めのラッセルにとって、勝ち要素が全く持って見当たらない相手である。

「あいつ……サイボーグかっての……」

とりあえず正面から頑張ってみたのだが、開始1分で諦めた。あいつはやばい。なんというか、強い強くないの問題じゃない。何かが違う。
だから早々に逃げに転じたが、どうやら逃がしてくれる気はないらしい。
白衣は赤黒く染まり、一歩身体を前に進めるたびに頭の先に電流のような痛みが走る。
体力に自信のあるラッセルでなければとうに倒れていただろう。それでも、時間の問題だ。

「(まぁ……エルムが当たらなかっただけマシか。ヴィルフリートってやつ、“ゲーム”だろー手加減とかしなさそーだし)」

窮地に追い込まれるほど脳は冷静になるらしい。心の中でそんなことを考え、一瞬何でそう思ったのか分からず首を傾げる。
エルムは、エルムレスは気が合う仲間だ。男っぽい恰好の女だが、長くつるんでると微妙な行動にも女らしさがあるのだと分かる。
だが、それだけ。そう、それだけのはずだ。
なのに何故、彼女の安全を一番最初に案じたのだろうか。

カツン
「……っ!」

わざとらしい軍靴の音に、思考が引き戻される。
ラッセルはマスの隅にある廃ビルの地下階段を下りていた。地下に降りている理由は二つ。
一つはなんとなく地下に何かありそうな気がした事。そしてもう一つは、これからやる作戦のためになるべく他の光源を抑えておきたいからだ。
移動中も手は壁に触れさせておき、異能を発動させ続ける。

「(元素分析、分解、回収…分解、回収)」

何度も脳内で異能の構築式を組みたてては発動、組みたてては発動を繰り返す。
異能を発動させるのにも体力を使うので、時折ぐらりと視界が揺らぐが奥歯を強く噛んで耐える。後少しだ。
階段を降り切って最後のフロアに辿りつくと、そこには今までの殺風景とは違った重厚な造りの扉があった。
倒れこむように扉を押しあけ、室内に転がりこむ。

「ここは……クラブ……?」

建設途中でも、いや、建設途中の方がこういう施設は建てやすいのだろう。室内には埃とクモの巣にまみれているものの、上等な調度品がそろっていた。
そしてその調度品の向こうに、「それ」はあった。

「ビンゴ」

古錆びた世界で唯一光る真新しい鍵。敵の鍵だ。もう一つは誰かがきっととってくれるだろう。
自分たちのチームの鍵が奪われたという連絡もない。これで一歩先手を打てる。
ラッセルはこのゲーム限定で使用できるというテレパシーでキングに報告した。

『敵さんの鍵、見つけたぜ』
『御苦労さま。移動するかい?』
『いや……ちょっと待ってくれ』

殆ど白ではなくなった白衣の袖をナイフで破り取って左肩の付け根をきつく縛る。
もうだいぶ血液は流れ出てしまったが、気を失うわけにはいかないし、やれることはやっておきたい。

「(ひと泡吹かせないと気がすまねぇしな)」

いくら鍵獲得に貢献しても、牙の一つでも向けなければボスに顔向けできない。
大局を見れば悪手、だがこのままなのはラッセルのなけなしのプライドが許さなかった。

「来たな」

室内に入ってきたヴィルフリートに向かってにやりと笑みを浮かべてみせる。殆ど傷らしい傷が無いヴィルフリートは淡々と「余裕そうだな」と言った。

「そちらこそ」
「当然だ、貴様を倒すために全力を尽くす理由はない。そんなことをしたら殺してしまうだろう」
「大した野郎だぜ……軍人がみんなサイボーグだとは思ってなかったわ」
「御託はいい。見つけたのか?」

 隠し立てする意味もないので、ラッセルは鍵を見せてやる。こういう相手はまず挑発だ。プライドの高い人間ほど、自分の仕事の失敗を恐れる。
案の定、ヴィルフリートの瞳に殺意が宿った。

「ならば突撃あるのみ」

 そこからはほとんど本能的に動いていた。軍刀を振り抜いたヴィルフリートに向かって椅子を持ちあげて防ごうとしたが、脆い。
椅子ごと胸を貫かれ、痛みというよりひゅっと空気が抜けた様な感覚がした。
蹴り飛ばされ壁にぶち当たった衝撃で肺から空気が押しだされる。これはろっ骨がやられたかもしれない。
さすが軍人というべきなのか、死なないように、だが生かさぬようにという攻め方だ。

「(どっちが残忍かわかりゃしねぇ)」

マフィアの拷問部隊って意外と優しいのかもしれない、とさえ考えてしまう。いくら死なないといっても下手したら後遺症が残ってしまいそうだ。
腹を軍靴で踏みつけられ、ラッセルは明滅する意識の中ヴィルフリートを見上げる。冷えた目。強者が弱者を見下す、こっちを人と思っていない目だ。
だから、腹が立つのだ。こいつには負けたくないと、そう思うのだ。

「鍵を出せ」
「誰が渡すかよッ」

残された体力を全て振り絞ってラッセルは叫ぶ。声を出して意識を保て。とにかく動かなければ、ここではダメだ。

「卑怯だぞ……っ! あんた剣術使いなんじゃなかったのかよっ、こんなことして恥ずかしくないのかよ……っ」
「マフィアが相手だというのに正々堂々戦うことには意味がない」
「言ってくれるぜ」
「敵兵を殲滅するのが本来の軍人の仕事だ。そのために手段を選ぶ必要もない」

 蹴りあげられて再び意識が吹き飛びそうになるが、鍵を強く握りこんで耐える。この重みは仲間と、組織の重みだ。

「引っかかったな、自分から奥に詰めてくれるなんてな……っ」

 挑発したつもりだったのだが、何故かヴィルフリートはその言葉にはのってこなかった。むしろ酷くうれしそうにも見える。
 階段を上がって、その笑みの意味がわかった。
 赤い鉄格子。おそらくヴィルフリートの異能で作られたであろう、軍人には最もお似合いなそれ。

「……あんたがやったのか」

 ヴィルフリートは答えなかったが、どう考えてもこいつ以外考えられない。「どっちがマフィアかわからないな」とラッセルは吐き捨てる様に言った。
 ヴィルフリートの放った血の寸鉄が腕に突き刺さり、意識を取られた隙に軍刀が突き刺さる。
頭の芯にまで届く熱で視界がかすんで表情は見えないが、多分笑っているのだろう。負けを認めろとか鍵をよこせとかいう声に、抑えきれない喜びが滲んでいた。

「(あー……やべぇ。ちょっとくじけそう)」

 さすがに敵の鍵を渡すのはまずい。そんなことしたら勝てなくなる。ボスには確実にぶちのめされる。いや、それより前に仲間が、エルムが傷つくかもしれない。
それは嫌だ。裏社会だろうがなんだろうが、あそこがラッセルの居場所で、仲間たちの居場所なのだ。

「わりーけど、勝負はまだついてないぜ」

ラッセルがヴィルフリートの軍靴をつかむと、向こうは少しだけ驚いた…様な気がした。

「ここで負けたらボスにマジで蹴られそうだしな」
「何を言――」
「あんたさ、頭良さそうだけど、このルール覚えてるか?」

 溜めていた元素の塊を圧縮して固形化する。集めていたのはマグネシウム。発火すれば凄まじい光を放って相手の視界を奪う。

「対戦中に移動するときは『相手の視界から消え』ること。なら、『相手の視覚を消し』てもいいわけだよな!!」
『ハンナ!移動頼む!』

ヴィルフリートに叫ぶと同時に脳内でハンナに移動を頼む。炸裂した光とヴィルフリートを残し、ラッセルはマスを移動した。
どうせ見えてないだろう。消える直前、ラッセルは声には出さず唇だけを動かした。

「 ざまぁみろ 」

 身体は限界だったが、少しだけ良い気分だ。


テレポートした先には幸い誰も居なかった。

『あの、さ…俺、ちょっとやばいからリタイアするわ。その後、誰かここにまわしてくれね?』
『…わかった』

 ハンナもさすがにこれ以上は無理だと分かっているのだろう。特に何も言わずに了承してくれた。

「あー……やっべー……死にそ―…。生きてっけど」

 廃ビルの壁に身体を預けて崩れ落ちる様に座りこむ。リタイアを宣言すれば運営委員会はすぐにすっ飛んでくるだろう。
ゲームから外され、テレパシーの異能も使えなくなる。
 だけど、その前にあと一度だけこの異能を使っておきたい。

『エルム、無事か?』

 問えばすぐに答えが帰ってきて、ラッセルは安堵の息を吐いた。
エルムの方はいきなりテレパシーが飛んできて、何だかいぶかしげな声だった。 勘が良いのはいいことだが、心配させないために、ゲームに集中できるように、ラッセルはわざと明るい声を出す。

『あー……ちょっとしくじっちまってさ、離脱するわ』

まだ戦えるけどなーと言いつつ、この異能が映像を共有するものでよかったと思う。
エルムは自分が傷つくのは無頓着なくせに、他人が傷つくのは酷く嫌う。こんな姿見られたらお説教ではすまなさそうだ。

『悪いけど、後、頼む』

 それだけ言って一方的にテレパシーを切り、運営委員会にリタイア宣言をする。数秒も経たないうちに現れたのは少年だった。
周囲にシャチのぬいぐるみを浮かせており、そのうちの一体はタンカにもなりそうなくらいデカい。

「はぁ……これ運ぶとシャチ汚れそうだなぁ……」

 人命よりもぬいぐるみが大事なのかよ、と突っ込んでやりたかったが、そんな体力もない。まるで闇に引きずり込まれる様にラッセルは意識を手放した。