パチッと火がはぜる音がして、グラークは目を覚ました。
目の前には赤くゆらめく焚火。視線を上に向けていけば、街灯の一つもない荒野と今にも降ってきそうな星空が広がっている。
「よく眠れましたか?」
優しい声と共に目の前にホットコーヒーが差し出される。隣を見ると、おっとりした瞳の青年がお人よしそうな笑みを浮かべていた。
「明日は大事な日ですからね。ゆっくり休まないと」
「大事な日…?」
まだ頭がはっきりしない。グラークが問いかけると、青年はおかしそうに笑った。
「まだ寝ぼけてるんですか?隊長。明日は国の命運を賭けた大勝負だって、隊長が言ったんですよ」
その瞬間、頭にかかっていた靄が全て吹き飛んだ。
この荒野をグラークは覚えている。忘れもしない。30年前の戦争の時、最も激化した場所だ。
そして目の前の青年はその時の副官。
「……オルバ」
名を呼ぶと青年、オルバは「はい」と返事を返した。
戦場に似合わない優しい性格の青年。家族を守るために軍に入ったのだと言いながら、人を殺す事に常に胸を痛めていた己の片腕。
そして30年前のあの時――
「どうしました?隊長」
「……いや」
グラークは困惑の隠せない表情でそれだけ答える。オルバはそんなグラークを見つめながら、穏やかな笑みを浮かべている。
「大丈夫ですよ。明日は絶対あの作戦を成功させます。家族を守るために、頑張りましょう」
その台詞はグラークの記憶と一致していた。そして日が昇り、彼は、オルバは、
「そんなに僕がここにいるのが不思議ですか?隊長」
まるでグラークの思考を読んだ様なオルバの言葉に、グラークは目を見開いた。これはただの過去の投影ではない。その証拠に、こんな台詞は30年前聞かなかった。
「僕たちはここで戦う事を誓い、そして戦場へ赴き、僕は、否、貴方以外の全員が――死んだ」
オルバの胸に穴が開く。穴から鮮血が溢れだし、みるみる軍服を朱に染めていく。あらん限りの力でグラークの腕を掴み、今までと一転憤怒の形相でオルバは言った。
「あなたが俺達を殺したんだ」
いつのまにか周囲の景色が変わる。グラークのオルバの周りに並ぶのは無数の棺。開かれた棺の中に収められているのは戦友たち。
上層部から受けた命に逆らえず、無茶だと分かっている作戦に身を投じ死んでいった、仲間たち。
「帰ってきた時、泣く妻を抱きしめ返せたのは貴方だけだ。俺たちは泣いてすがる家族を抱きしめ返すことすらできなかった」
グラークは何も言わず、ただ厳しい顔でオルバの叫びを受ける。
「貴方が上層部の力に屈しなければ、軍の規律何かに縛られてなければ、死なずに済んだかもしれないのに!貴方がこれだけの人を殺したんだ!」
オルバはグラークから手を離して腰のホルスターから銃を引き抜き、グラークの眉間に当てる。その状態で立ち上がり、
「死んでください、隊長」
冷ややかな声でそう告げた。
グラークはしばらく目を閉じ黙っていたが、やがて長い息を吐いた。
「……全て君の言うとおりだ。儂の決断が君らを殺した。望むのなら、儂は君に殺されよう」
目を開き、銃を構えるオルバを見据える。銃を眉間に突きつけられているというのに、視線に乱れはない。
「だが、それは“君”ではない」
その言葉を聞いたオルバの表情が驚愕に変わる。
「察するに、君は儂の自責の念が生み出した存在なのだろう。本物のオルバはそんなことを決して言わない」
目の前のオルバではなく、その奥にある過去を見る様にグラークは遠い目をする。
「軍を捨てろと彼は決して言わぬ。国は人の集まりであり、彼が愛する人間を護る軍を捨てろとは魂が裂けようと言わない、あれはそういう男だ」
その声音はいつもと違い、酷く優しくそして穏やかなものだ。だが、オルバの返答は冷ややかだった。
「だからどうした。罪を忘れ、のうのうと生き続けると言うのか」
引き金に指をかけ直して冷ややかな視線を向けるオルバに、グラークはゆっくりと首を横に振って見せる。
「それは違う。儂は決してあの時のことを忘れぬ。あれは死んでも背負い続けなければならぬ罪だ。だが、それは今ここで死ぬのは意味が違う」
グラークは自らに向けられた銃の銃身を持ち、そのまま立ち上がる。
「自ら命を絶つと言う事は、生きたくとも生きれなかった彼らへの最大級の冒涜だ。だからこそ儂は生きる。
彼らが命を賭して守ったこの国を生きている限り護りつづけることこそが、今儂に出来る唯一のたむけだ」
グラークがオルバから銃を取り上げる。オルバは抵抗せず、真意を探るかのようにただまっすぐグラークを見ていた。
『グラーク・アスル・ヴァルジーク元帥。“ゲーム”が終了いたしました。選択の間へ御出でください』
ふと空からそんな声が聞こえたと思うと、グラークの身体が白い光に包まれ始めた。オルバを見ると、相変わらず黙ってグラークを見つめている。
「あの時も、君はそうだったな」
戦場に旅立つ直前、本物のオルバも何も言わずただまっすぐグラークを見つめていた。
グラークの心を覗くように静かな瞳、そして――ある種の覚悟を決めた、強い瞳で。
「…出来る事なら、本物のオルバに会いたかったものだ――」
ほんの少しだけ寂しそうにそうこぼしたのを最後に、グラークの姿は消えた。