Do be do be do. 

グラークが目を覚ましたのは、全てが白に包まれた空間だった。
壁もなく天井も見えない。足元の感覚だけがその空間で唯一グラークに現実を訴えていた。
ここが選択の間とやらなのだろうか、とグラークは音もない世界で一人考える。

「おめでとうございます」

厳かな声と共に白い空間に色が生まれる。アイシャとピアチェの姿。彼らはグラークの傍にくるとその場に跪いた。

「貴方は“ゲーム”に勝利なされ、“エデンの鍵”の契約者たる資格を手に入れられました」

ピアチェが流ちょうな口調でそう言った。今までのふざけた態度とは一変した姿。驚いているのが伝わったのかピアチェがフッと笑った。

「我らは守り人。鍵と主の意を受け世界に権限する時は新たに人格を構築します」

つまり今までのは全て演技ということだ。言われてみれば、静かな物腰の今の方が本来の彼である様な気がする。
何も言わないグラークに構わず、二人はスッと片手をグラークの前へ差し出す。

「我らの手をお取りください、新たな主様。我らが鍵へ導き、契約を成しましょう」

グラークは差し出された手を見、それからこの空間を仰ぎみて静かに告げた。

「放棄する」

その言葉に一瞬時が止まる。

「今、なんと」

「放棄する、といったのだ。儂はこんな所で暮らす趣味はない」

アイシャが静かな声で問いかえしてもグラークは同じ答えを返した。アイシャは理解できないという様に眉を寄せる。

「戦争のない世界にしたくはないのですか。貴方はそれで大切なものを失ったのでは、ないのですか」

まるで見てきた様な物言いだが、おそらく本当に見たのだろう。エデンの鍵の力をもってすれば造作もないことだとグラークは思う。
だからこそ、グラークは真正面から返す。

「戦争は醜い。全てを奪い、残された者に深い絶望と悲しみしか与えない」
「ならば」
「だが、こんなものに頼って消してしまえば、今まで儂を信じ、国を信じて死んだ者たちを裏切ることになる」

更に言い募ろうとするアイシャを手で制し、

「何度提案されても儂はそれを断ろう。ヴェラドニア軍と、国と、我が同胞の名誉にかけて」

その言葉はグラークの中で何よりも重く確固たるものだった。決して心が揺るがぬ事を悟ったのだろう、アイシャとピアチェは立ちあがりゆっくりと一礼する。

「…かしこまりました。ならばこの契約はすべて無効にさせていただきます」
「シエル・ロアはエデンの鍵と一体。統治の話もなくなりますが、よろしいですか」
「かまわん。元から我らは国に仕える軍。統治は本分ではない」

グラークが突き放す様に言うと、徐々にグラークの姿がかき消え始める。元の場所に戻るのだと、なんとなく分かった。五感が遠のき、奇妙な浮遊感に襲われる。
消える直前、二人の姿に加えてオルバの姿が見えた様な気がした。

『さよなら』

その言葉を最後に、グラークの視界は白に染まった。

・・・・

運営委員会の管理していたビル。その一階ホールに鳳の姿はあった。
髪留めはなく、赤い髪をそのまま流した彼はただジッと何かを待つように瞳を閉じている。
やがて目当ての気配がすると、鳳はうっすらと目蓋を上げた。

「何故ここにいる」
「最後に顔を拝んでおこうかと思いまして」

不機嫌そうな声に鳳はいつもと変わらない艶やかな微笑を返す。声の主であるグラークはそれに何も言わず、鼻を鳴らしただけだった。

「何故“エデンの鍵”を使わなかったのです?」

あれを使えば犯罪の一掃などたやすかったでしょうに、と鳳は尋ねる。
恐らく部下に調べさせていたのだろう。エデンの鍵が何なのか、もう知っている様な口ぶりだった。

「楽をして、平和と秩序を実現しても意味はない。そんなことをすれば今まで命を賭けてきた者に顔向けできん」
「相変わらず甘い方」

クスッと笑ったが、そこに嘲笑の響きはない。彼なりのグラークに対する賛辞なのだろう。持つ正義は違えどそこに対する信念は酷く似ている。
会話は終わったと言いたげに背を向けた鳳に向かって、今度はグラークが声をかける。

「…これからどうするつもりだ」
「どうするもなにも、変わりませんよ。何でしたらここで禍根を断っておきますか?」

今度は挑発を含む声音。グラークはため息をついて首を横に振った。

「…やめておこう。犯罪行為を行ってない“今は”一般市民だからな」

そうですか、とクスクス笑い、鳳は紫の瞳を細める。

「僕らは変わりませんよ」
「それもまたいいだろう。こちらも変わらぬまでだ」

一瞬の視線の交差。だがそれで充分だった。鳳は静かに一礼してビルを出ていった。

「グラーク元帥!」

その声の主は背後からグラークに近づいてきた。声の主、キールはつかつかとグラークの前に回り込み、

「その、ありがとう」

深々と頭を下げた。

「礼を言われる理由はないが」
「いやあの、その、俺も何だか分かんないけど、あんたがしたのはきっと良い事だったと思うから」

その台詞にグラークは驚いた様に少しだけ目を見開く。
キール自身も己の言動にまだしっくりきていないのか首をひねりつつも、

「何となく思っただけなんだけどさ」

と笑ってそのまま去っていく。その顔は20歳にしては子供っぽい、それでも見るものを惹きつける笑みだった。
一人残ったグラークはしばらく二人の出てった扉を見ていた後、フッと苦笑をこぼして扉に向かう。足取りに迷いはなく、どこまでもまっすぐだった。

・・・・
グラークが去った後、アイシャとピアチェは相変わらずそこに立っていた。

「行っちゃったね」
「そうですね」

ピアチェが口調を砕けてそう言うと、アイシャも淡々と返す。

「どうする?」
「私たちはエデンの鍵を護るだけ。新たな契約者を得られなかったのは痛手ですが、許容範囲です。
次なる契約者を探す時まで、しばし休みましょう」

その台詞を最後にアイシャの姿はかき消える。
残されたピアチェはグラークが消えた場所を見つめて少しだけ瞳を細め、

「あー…楽しかった、な」

その姿を、消した。